ずっとブログを書いていなかった。
友人からは「ブログやめたの?」と言われる始末だったが、
決してやめたわけではなくて、諸事情によりただ書くことができなかった。
でも、せっかく開設したブログをこのまま休止状態にしておくのも悲しいので、
もうそろそろ再始動しようと思う。
いつもは人が創り出した物語の感想を書いているが、
再始動第一弾として、今回は自分の物語をアップしようと思う。
先日デラモタワーで開かれた「ねこ展」に
ちょっとした文章を出展したのだけれど、それを改題・改変してみた。
いつもより少し長いけれど、時間のある人は読んでみてください。
---------------------------------------------------
サワラ
学生時代、クラシカルな(少なくとも私にはそう思える)バイトをしていたことがある。新聞配達だ。毎朝、2時か3時に起きて、近所の団地の階段を数百段上り下りしながら、新聞を配っていた。自分の意志で選んだ仕事とはいえ、ひと言で言えば地味。なければないでそれなりに困るが、特別注目されることもない。食べ物にたとえるなら味噌汁に浮かぶワカメみたいな存在だったように思う。
そういう仕事なので、毎日ハラハラどきどきする出来事があるわけではない。販売所に行って、自転車に新聞を積み、配達すべき家が記された表を持って、ひたすら配る。配達し終えれば仕事は終わり。ひじょうにシンプル、かつ反復横とび並みに同じことの繰り返しだった。でも、ときには早朝出勤するおじさんに遭遇し、「若いのに(そんな地道な仕事をして)エラいね」と関心されたり、「いつもありがとう」というメッセージがドアに張られていたりすることもあった。
そんなささやかな変化のひとつにサワラのことがある。10年以上前のことなので記憶が定かではないが、サワラに出逢ったのは暑くもなく寒くもない秋のことだったように思う。一棟分新聞を配り終えて、ほっとひと息ついたそのときに、夜の闇から小さくて白い物体がひょっこり現れた。よくよく見ると、まだ生まれて間もない子猫のようだ。見るからにフカフカのやわらかい毛をしている。野良のくせに人間慣れしているのか、私がニャーと猫の鳴きまねをすると、歩み寄ってきて私の足に絡みついた。私はその小さくてやわらかい生き物を踏みつけてしまわないように、そっと抱き上げ、ひざの上に載せた。華奢で不安定で、でもしっかりと脈打つ心臓を持つその生き物は、まるで私と旧知の仲であるかのように、安心しきった様子で身をゆだねてきた。私はとくに猫好きというわけでもなかったが、その無防備な姿に心動かされないわけにはいかなかった。子猫の愛くるしい姿を見たら、眉間に深く皺の刻まれた、常時しかめ面のご婦人だって、ふっと表情をやわらげたに違いない。私は子猫をサワラと呼ぶことに決めた。サワラとはお気に入りの小説に出てくる猫の名だ。仕事中なのでいつまでも油を売っているわけにもいかず、その場を離れたが、「次の日も逢えるといいな」と淡い期待を抱かずにはいられなかった。
私の期待に応えるかのように、次の日も、その翌日もサワラはほぼ同じ場所に現れた。それ以来、サワラとの短い逢瀬は私の生活においてささやかな喜びとなった。私は猫を飼ったことがない。猫のしぐさや鳴き声から、猫が何を求めているのか察するには猫歴が浅すぎる。サワラが何を好み、何を憂えているか推し量ることはできなかった。ただわかるのは、サワラも私を好きでいてくれるということ。待ってはいないまでも、毎晩、私を見かければ、だっこをしてほしいと思うということ。ただ、それだけだった。ただそれだけを確認するためだけに、私は毎日同じ場所に行き、白い子猫の姿を探した。ときにはダボダボのカーゴパンツのポケットにモンプチを忍ばせて。
後でわかったことだが、サワラは近所の人気者だった。容姿端麗で愛想がいい。それで人々から好かれないはずはない。名前だってシロとかユキとかいくつかあったはずだ。しばらくたって姿が見えなくなったと思ったら、団地の改修工事に訪れた業者のおじさんが、あまりに可愛いので自分で飼うと言って連れて帰ったらしい。母が近所から仕入れた情報を教えてくれた。
芸者で言えばいい身請け先が見つかったというところだろうか。私はさながら人気の芸者に熱を上げた、バカな男のひとりだったのかもしれない。そう考えると苦笑したくもなるが、夜の闇の中、月夜に照らされて私の膝に身をあずけていた白い子猫の姿を思い出すと、やはり自然と微笑みたくなるのである。